【三井 皓志】仕事も、家庭も。自分が今やるべきことに精一杯取り組むことで、より良い「明日」を切り拓いていく

明日を動かす人たち

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特集 WEBマガジン 明日を、動かす

KONISHIのコーポレートミッションである、「明日を、動かす。」

この言葉に想いを乗せて、未来に向けて挑戦している社員一人ひとりを紹介する企画が、「明日を、動かす人たち」です。

今回紹介するのは、5年間の海外赴任を経て、現在は営業本部 厚木営業所 主任として働く三井皓志(ひろし)。海外へ出たいという夢が叶ったと同時に家庭を持つことにもなった三井は、どのように仕事や家族に向き合い、未来に向けて動いているのか……等身大のストーリーをぜひご覧ください。

海外の仕事に早くから挑戦できる環境を求めて入社

現在は厚木営業所で、営業を担当しています。その中でも私は海外向けの機種に対して、当社の取引先部品メーカーの商品を使ってもらえるようにPRしていくのがメインの役割。それに付随して量産部品の受発注、入出荷のフォロー、 問い合わせ対応など幅広い業務を担っています。

コニシ産業には2014年に入社しました。私の両親は台湾出身で、就職活動をするにあたって自分の強みを考えた時に、中国語のスキルを使って仕事ができ、海外での仕事のチャンスもある商社を希望していました。その中でもコニシ産業を選んだのは、もともとモノづくりにも興味があったので商社でありながら商品にも深く関われそうだったこと、そしていくつか内定をいただいた会社の中で一番早く海外に行けそうだと思ったことが理由です。

入社後は営業担当として厚木営業所、そして取手営業所で勤務しました。3年目の終わりごろ、会社が海外研修の希望者を募っていたので、それに手を挙げ説明会に参加しました。そこで社長に呼ばれ、「君には研修ではなく赴任で上海に行ってもらいたい」と言われました。海外で仕事をすることは入社当初からの夢だったので、心の中でガッツポーズ。「ぜひ行かせてください!」と即答しました。日頃から意思表示をしていたわけではないのですが、入社時に言ったことを覚えていてくれたのかなと思います。やりたいという気持ちがあればチャンスをくれる会社だなと感じました。

ただ、夢が叶ったとはいえ実際は不安も大きかったのも事実です。赴任の話をきっかけに結婚が決まり、同時に妻の妊娠も発覚。人生における重大なライフイベントが一度に重なったタイミングだったからです。当時住んでいた家を引き払って、妻も一旦実家に戻り、荷物を全部倉庫に預けて空っぽになった部屋で最後の晩を過ごしていた時にものすごい不安が襲ってきました。翌日空港でのトラブルもあり、無事上海の空港に着いて会社の車に乗り込んだ瞬間にようやくふーっと力が抜けたのを覚えています。

未来のことはわからない。あえて目標を決めずに、今できることを

上海での最初の2年間は営業担当として、日本にいる時と同じように営業の仕事をしていました。しかし、中国語が話せると言っても機械部品の名称や輸入通関で使う中国語は全くわからない。それなら自分ではなく現地社員がやった方がいいのではないか、わざわざ日本から来た自分の存在意義って何だろう、と考えるようになりました。日本と現地の橋渡しは重要な役割ですが、それほど調整の機会が多くあるわけでもないし、大きな調整ごとになればお客様側も役職者の方が出てくるのでまだ若手であった自分の出番はない……。

そこで、現地社員と同じようにバリバリと中国語で仕事ができるようになろう、と腹を決めました。例えば、上司への小さなメールも自分から返信して関わっての繰り返しをはじめるなど、そのような姿勢で仕事に取り組んだことで語学力も伸びましたし、同じ土俵に立って仕事をすることで中国の方々ともコネクションができました。自分の力で積み上げてきたという実感が持てましたね。結果的に役職も上がり、そのことによってお客様先の役職者の方とも対等に話し合いができるレベルにまで成長できました。

私の仕事の価値観に通じる話ですが、将来の目標を決めて頑張ることがあまり得意ではないんです。まずは目の前の仕事にどう取り組むかを決めて、進んでみる。そうすることで自然と結果はついてくるのかなと思っています。コニシ産業は新規部品の採用まで1〜3年程度かかるため、日々の営業ノルマなどのプレッシャーがなく、自分で考え動けるカルチャーがあるので、そこも自分には合っていると思いますね。

子どもの成長を側で見たい。子どもたちとの時間を作りやすい環境がありがたい

上海赴任後しばらくは家族で暮らしていたのですが、2020年に新型コロナウィルスの流行が始まってすぐに、2人目を妊娠中だった妻と長男は緊急で帰国しました。そこから2年間、私は家族と離れ離れでした。子どもたちはすぐに大きくなるのに自分は成長を側で見られない寂しさが募っていき、2年経った時に日本へ戻りたいと会社に伝えて帰任させてもらいました。

子どもが生まれてからは家庭での自分の姿を見せたいと思っていて、現在は育児に関わっています。今は遅くても19時には帰るようにしていて、晩ごはんを食べて子どもと一緒にお風呂に入って21時頃に一緒に寝る。朝は5時に起きて食器を洗っていると長男が起きてきて、話をしてから出勤する、という生活を送っています。有給休暇をとって子どもの幼稚園の行事に参加することもあります。自由に休みがとりやすい職場環境なのでありがたいですね。

最後に、当社のコーポレートミッション「明日を動かす」ができた時には、私は中国にいて、コロナ禍の影響でいつ街が封鎖されて家から出られなくなるかわからない、まさに明日もわからない状況でした。

そんな不安な状況の中でも「とにかく今できることをやろう」と動いてみたところ、うまく事が進んだという経験が何度かあったんですね。これから先もどんな未来になるかはわからないけれど、どうなるかを楽しみにして「明日」を良くするために動いていきたいと思います。

【インタビュー/記事記事制作 スゴモン 松田 然(もゆる)】